先日ヴィパッサナー瞑想と発達障害の対応方法が類似していることについての記事を書きましたが、ヴィパッサナー瞑想そのものの説明と私の体験、また実際に日本で初心者講習を受ける方法について参考となるようまとめました。
実際の詳細情報は書籍・現地の初心者講習で気になる点を確認してくださいね。
先日の記事
ヴィパッサナーとは(簡単に)
ヴィパッサナーとはパーリ語で「観る」という意味がある単語です。
この瞑想自体は仏陀生誕前からあったと言われているため、2500年以上前から存在していたことになります。仏陀が解脱に至る知恵を得る際に用いた瞑想法として良く知られています。
一方、息を数える・マントラを唱えるなど特定の対象に集中し心を静める瞑想法をサマタ瞑想と呼びます。
瞑想としてはどちらが優れているというものではなく、車の両輪のようなものであると理解しています。
実際、ヴィパッサナーを行うために必要な心の平静を得るためにサマタ瞑想は導入として使われることがありますし、ヴィパッサナーを続けることでサマタ瞑想で得られるサマーディ(漢字では定、三昧などと書かれます)の多幸感、覚醒感を感じることがあります。
詳細な歴史的経緯を知りたい方は以下のサイトが良くまとまっていますのでご参考にしてください。
現在のヴィパッサナーの流派や情報について
有名な流派として、仏教系ではマハーシ、ゴエンカ、パオ、ルアンポー・ティアン、どのカテゴリーにも属さないOSHOがあげられますが、
正直あまり流派には拘らず、興味のある流派の初心者講習を受けてご自分にあった方法を選択されるのが良いです。
が、瞑想の指導方法が偏っているとトラブルとなることがありますので、情報がオープンにされている・自由に質問できるところに訪れるのが無難でしょう。
ヴィパッサナー瞑想は「観る」瞑想ですので、効果・指導方法を絶対視させることはありません。
あくまでも自分で方法が正しいか検証し、良いと思ったら続けましょう。
私はこちらの書籍を参考に始めましたが、
実践する際は一度指導者に不明点を確認したほうが変なクセがつく危険を避けられます。
私が参加したことのある
・1日以内で参加できる初心者講習がある
・参加後、宗教勧誘を行っていなかった
ことを確認した団体を後述しておきますので、ご興味のある方は参考になさってください。*1
実際の手順例
以下は実施例です。どんなものかの参考程度にしてください。
私は毎日一定時間(30分程度が何とかですが)は集中編の瞑想を行ったうえで、日常編の瞑想を適宜行うようにしています。
1.集中編
事前準備
ヴィパッサナーを始める前の集中力強化、気持ちの安定の為「慈悲の瞑想」を行います。特定の文言*2を心の中で唱え、気持ちを静めます。これはマインドフルネスで「慈悲のプラクティス」と呼ばれている文言でもいいので、自分も含め、多くの生き物の幸せを願う穏やかな気持ちになる言葉を選びます。
開始
慈悲の瞑想を行った後に座って呼吸時の身体の観察を行います。
座り方は結跏趺坐が一番安定すると思いますが、難しければ半跏趺坐、胡坐でもいいです。とにかく瞑想時に体がふらつかず良い姿勢を取れること、また体(特に腰や背中)を痛めない座り方をしてください。
何故かというと、瞑想が進んだ場合に脳内に変化が発生し、痛みを感じにくくなることがあるからです。この状態で変な姿勢をしていると、体が痛んでも瞑想を続けてしまうこととなり、後で酷い目にあう事になりますので充分気をつけましょう。
座って目を閉じ、鼻から呼吸をします。
自然呼吸を続けて、意識的な腹式呼吸をしないのが日本テーラワーダ仏教協会で初心者講習を受けたときに教えて頂いた方法ですが、呼吸法についてはいろいろ教えて頂いたところによって違うと思いますのでご参考まで。
呼吸時に身体がへこむ感覚を意識しつづけてください。吐ききると自然に息を吸う形になるので、その時に膨らむ身体の感覚を意識します。
ポイントは
- 全ての瞬間の感覚を可能な限り細かく分割し、じっくり観察すること
- 最初の感覚・印象だけを確認し、概念・推測を極力排除する
普段は惰性でしか意識していない感覚が、体調、環境、その他の要素から微細ではありますが少しずつですが異なっていることが分かると思います。
雑念が浮かんで来た場合は、雑念が浮かんできたことだけを確認して、また元の腹部感覚に意識を戻します。別な体の箇所や、外部の刺激が気になった時も同じです。
雑念が浮かんでくる時、浮かばない時はその時の状態で異なりますが、どちらがいい、悪いというものではないとのこと。
ふわーっと体が軽く、感覚が無くなり気持ちよくなることもありますがその状態にはまらずに確認だけしてまた元の感覚に戻します。
2.日常編
こちらは先日リンクさせて頂いた発達障害への対処方法とほぼ同じです。
何かの動作を行うときに、一つ一つの動作を出来るだけ細かく分割して、詳細に確認しながら進めてください。
例:水を飲むとき
コップに手を伸ばす→コップに触れる→コップをつかむ→コップを蛇口の下に移動する→蛇口に手を伸ばす→蛇口に触れる→蛇口をつかむ→蛇口をひねる→水の下にコップを移動する→コップを見る→水が溜まるのを確認する→蛇口をひねって止める→コップを口に近づける→口をあける→水を口に流し込む→飲む・・・
時間のある時は行う動作を心の中で言葉で確認しながらでも良いので、しっかりと感覚・動作を確認しながら行います。普段の生活の中で行う場合は一つ一つの動作を細切れにして集中するだけでも良いです。
これだけで普段、何気なく行っている動作がいかに複雑であるかを実感すると同時に、惰性で行っていて気づいていなかったことが見えてきますので、観て、事実だけを確認してください。
私の場合は
- 無駄な動作、作業などが減り、仕事の時間あたりの作業効率が上がる
- 聞いた言葉から妄想・推測だけで無駄な怒りの反応を起こすことが少なくなり、精神的なストレスが減った
- 他人の視線からの妄想・推測がなくなり、視線恐怖症を克服できた
などの効果がありました。
まとめ
日常生活の細かな気づきを得ることで、少しずつストレスレスな生活に近づけるのがヴィパッサナーの恩恵といえます。
反面、ストレスの即時解消としてはサマタ瞑想が優れています。ただこれは冒頭で述べたとおり、車の両輪のようなものです。
ストレスを水槽の水とすると、
サマタ瞑想は水を抜き、
ヴィパッサナーは水道の元栓を締める作業といえます。
ストレス軽減、リフレッシュという意味では1点に集中し、心を静めるサマタ瞑想で充分な効果が得られますが、結局瞑想が終わるとまた元の心の状態に戻ってしまいます。
原因は
「ストレスが起こる原因である心の反応に、今までの経験で出来上がってしまった怒り・悲しみ・もしくは不都合な行動を引き起こす回路に自動的に繋がってしまっている箇所がある」
ためです。
この事実に気づかないと、ひたすら瞑想状態を求める「瞑想病」と呼ばれる状態に陥ることすらあります。
それぞれの特性を理解の上、日常に上手に瞑想を取り入れて頂ける一助となれば幸いです。
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*1:
※私の参加当時の情報です。
以下、リンクと1行コメントです。
書籍「怒らないこと」で有名なスマナサーラ長老が所属。
私が始めたきっかけとなった書籍の著者、地橋さんが代表。
・東京ヴィパッサナー瞑想道場 | 宗教法人 南福寺 Bodhi-Tree
東京で定期的に真言宗の僧侶、静慈彰(しずかじしょう)さんが開催。
千葉の蘭華寺で瞑想会を開催。ときおり東京でも開催。2016年4月時点で日本国内における唯一のスリランカ寺院。
*2:
※参考までに、グリーンヒル瞑想研究所で教えていただいた文言を載せておきます
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみが無くなりますように
私の願い事が叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように
私の親しい人が幸せでありますように
私の親しい人の悩み苦しみが無くなりますように
私の親しい人の願い事が叶えられますように
私の親しい人に悟りの光が現れますように
私の親しい人が幸せでありますように
私の親しい人が幸せでありますように
私の親しい人が幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように
生きとし生けるものの願い事が叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
(以下、☆までは怒りや嫌悪の反応が起こるときはスキップします)
私の嫌いな人が幸せでありますように
私の嫌いな人の悩み苦しみが無くなりますように
私の嫌いな人の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人に悟りの光が現れますように
私を嫌っている人が幸せでありますように
私を嫌っている人の悩み苦しみが無くなりますように
私を嫌っている人の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人に悟りの光が現れますように
(☆)
全ての衆生が幸せでありますように
全ての衆生が幸せでありますように
全ての衆生が幸せでありますように